去る、平成15年8月23日(土)に天童市にある県運動公園内野球場にて千棄・山形両県接骨師会の親善野球大会が行なわれました。
日本初のコンビニエンスストアー「セブンイレブン」が開店し、北の湖が横綱に昇進し、長嶋茂雄が現役を引退したこの年、1974年、その大会は始まりました。
遠く離れた土地で同じ職を生業とし、ただ野球が好きという同士があるきっかけを通じ知り合い、意気投合し、その後30年に渡り、継続された史上稀に見る野球大会です。
~巻頭言より~
懐 古
千葉県接骨師会 総務部長 椎名晴彦
千葉県と山形県との間で行われている野球親善試合が、この平成15年で30回目を迎えることになったとの由、大変喜ばしい事であると思います。
この親善試合が行われる様になった発端は、今は亡き小倉八郎元日整会長が、千葉県会長であった時、「柔道ばかりでなく、若い会員相互の理解と意志の疎通を図り、団結力を強め、業界を発展させるために、皆がよく知っていて、一度はやった事のある野球をやろうではないか!」と発意され千葉県において支部対抗の野球大会が始まったのであります。
「千葉県で野球をやっているよ!」と、千葉支部の安徳実先生から聞いた友人である山形県山辺町の渡辺先生が「実は山形でも野球をやろう!と云う事でチームを作り練習をしている。一度お手合せ願えないだろうか。」と、安徳先生を通じて千葉県接骨師会へ試合の申し込みがあったのです。そこで県接骨師会で協議した結果、山形県の申し込みを受ける事になったのです。が、予定された試合日が、偶然にも県選抜チームと、千葉労働基準局と、監督署チームとの親善試合と重なってしまい県執行部で協議した結果、千葉県の代表として千葉支部チームが山形県との親善試合を行う事になり、以後連綿として今日まで続 いているのであります。
この様にして急遽試合を行う事になり、森丈夫支部長を団長とするメンバーが土曜日午後11時ごろの夜行列車で上野駅を発ち、山形に向かったのです。そしてまだ夜の明けきらぬ5時ごろ山形の駅に到着。そして出迎に来られた山形県の先生の案内で宿に着き、温泉につかり一休み。そして午前中蔵王を見物し、午後山形球場で親善試合を行う。結果は、大差で千葉の勝ち、夜懇親会を行い交流を深め、来年は千葉県で実施する事に決定する。私は夜行列車の中で一睡も出来ず、試合では投手をやり9回完投したので上山温泉に宿泊する事にしたが、森支部長と他のメンバーはまた夜行列車で千葉に向い、月曜日の朝上野駅に着き、自宅に帰り、眠い目をこすりながら患者の治療に当ったようです。全くの強行日程でした。
第1回目の親善試合に纏わる出来事を私の乏しい記憶の糸を手繰りながら記述させていただきました。
「野球は筋書きのないドラマ」であるとよく言われます。29回に及ぶ熱戦の球譜には数々のドラマが刻み込まれているものと思います。これからも熱い感動のドラマが刻まれていくと思います。
「野球は航海である」と言ったのは、マイケル・ノバックであります。彼はまたこうも書いています。「共同プレーをしているが、決定的な個所では一人で事に直面し、鍛えられた直感、本能、稲妻のような動作、それらに基づく落ち着いた反射プレーでそれぞれの課題である数学的な可能性を解いていく」(スポー ツ・その歓喜)
このマイケル・ノバックの言葉は、野球の神髄であると私は思います。 千葉県及び、山形県の野球愛好者の皆さん今後とも、熱くそして楽しい野球を続けていかれることを希望します。 ~30周年記念誌より抜粋~